悪魔の産物「より添わざるを得ないぬいぐるみ」を購入した結果

 

 

アイツはヤベーぞ。

 

最近Dr.STONEの「よりぬい」を購入した。

「よりぬい」とは、ムービックから出ているぬいぐるみシリーズである。

 

以下公式文

仕事で疲れた、一人っきりのご飯って味気ない…そんな時に。

「よりぬい」はいつでもあなたに “より” そう “ぬい” ぐるみシリーズです。

https://www.movic.jp/shop/pages/yorinui.aspx

 

 

なぜぬいぐるみに興味も縁もない、推しジャンルであろうとぬいぐるみには手を出したことのなかった私がこの「よりぬい」に手を出したかというと、

あさぎりゲンの「よりぬい」があまりにも可愛かったからだ。

 

見てみろこのフォルムを。

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自立するだとか顔や手足が動くだとか、そのようなことをムービックは謳っているが、

実際そんなことは些細な利点であり、コイツのヤベーところはそんなことではない。

 

あさぎりゲンといえば、尖ったところも魅力のキャラクターではあるが、

なぜその尖ったところを全て削ぎ落としたような見た目なのにこんなにもあさぎりゲンなんだ?

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おかしい、あさぎりゲンがこんなにかわいいはずがないのである。

こんな二頭身で顔がミサワよりも内側に寄っていて髪の毛もふわふわしていて無防備に小さくて愛らしいおててを晒して微笑んでいるこの……この愛くるしい物体を「あさぎりゲン」と認識していいのか??

 

しかしムービックはコイツをあさぎりゲンとして売り出している……いやそういうことではなく、私はこの二頭身のちいさきいのちを「あさぎりゲン」だと認識してしまっているのである。

 

どういうことだ? こんなにも愛くるしいのに……

もしかして原作でも元々可愛かったのか? そう思わずにはいられない。

 

そして「よりぬい」には、フォルムの他にも重大な魔の手が備わっている。

それは、圧倒的手触りの良さである。

 

上に貼ったリンクのconceptのところにはこう書かれている。

ふわふわだよ!

ぎゅっとしたくなる

優しい触り心地の生地だよ。



購入してしまった私から言わせてみれば、こんなのは虚偽表示でJARO案件である。

ふわふわでぎゅっとしたくなる優しい触り心地なんて生やさしいものではない。

 

確かに成形する前の布状態であれば、この表記は正しいだろうが、

この触り心地の布が前述したフォルムにトランスフォームすることにより、

悪魔のような触り心地になるのである。

 

我が家にコイツがきてからというもの、

コイツは仕事中も作業中もずっと膝の上に居座り、私の左手はコイツの頭を無意識に撫で続けている。

仕事がひと段落し、ペンを置いて右手が空いた瞬間、右手が向かう先は飲み物の入ったグラスではなくあさぎりゲンの頭部である。

 

こうやってよりぬいの恐ろしさを書き綴っている間にも、私の膝の上にはあさぎりのよりぬいがいて、一文書くごとに手を休めてあさぎりの頭を撫でているのだ。



もう一つ恐ろしいことがある。

私が買ったタイミングではもうすでに再販分も売り切れているタイミングで、フリマサイトやオークションサイトで買うしかないという状況だった。

 

それは「誰かに売りに出された推しを金を出して救う」という、一昔前に同人誌が百億冊ほど出されていそうな展開と等しい行動である。

 

そう、私はこういった経緯で「中古」状態を買ってしまったがばっかりに、

さらに愛着がやばいことになってしまったのだ。

(一応書いておくと、別に同人誌のように大枚を叩いて競り落とした訳ではなく、定価程度の金額であった)

 

要するに、

「ゲンくん、一生うちで大事にしてあげるからね♡」

こういうことである。



これを見ている未購入者及び別ジャンルの人間は、薄ら笑いを浮かべて私のことを馬鹿にしていることだろうが、

自分の推しがこのフォルムと手触りになって目の前に現れたことを想像してから私のことを嘲笑った方がいい。

本当にこの「よりぬい」というシリーズは悪魔の産物である。




後、流石に長くなりすぎるので省いたが、

実はあさぎりくんと一緒にせんくうくんも購入した。

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どうせあさぎりだけ買っても後から欲しくなるだろうなと思ったからである。

 

私の行動は間違っていなかった。

いやある意味間違っていたのかもしれない。

 

せんくうくんとあさぎりくんが一緒に並んでいると、その空間だけこう、何かしらのオーラというか、結界というか、ホワホワしたあの少女漫画によく使うトーン背景が背後に見える、そういう幻覚が見える。

いや、本当にこれは幻覚なのか?

元々枕元に2人とも置いておこうと思ったが、何となくこっちが居心地が悪くなるので、寝るときは見えないところに置いている。



皆様も、もし今後このシリーズを購入する際は、覚悟をして購入してほしい。

そして、私のようなことになりたくなければ、

できれば予約してメーカーから買うことをおすすめする。



今日もうちのあさぎりくんとせんくうくんはかわいい。

一生おじさんが大事にしてあげるからね。

推しバンドが活動休止する

 

私の推しとの出会いの話だ。

 

私が推しと初めて出会ったのは(正確には初の邂逅ではなかったが)、とあるアニメだった。

 

出会いの場は、「ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン」第3話である。

2015年ごろにニコニコに浸っていた人間は或いは知っているだろうが、あの「プロメア」や「キルラキル」など、多くのヒット作を手がけたTRIGGERのアニメだ。

 

www.nicovideo.jp

 

この作品の内容は今回の話にほぼ関係しないので省くが、私はこのアニメの1話をいたく気にいり、死ぬほどリピート再生したものだ。

15分アニメであるということもあり、それまでに見た数々のアニメの中で最も周回した第1話であろうことは確実である。

 

このアニメの特徴は、全26話で全26曲のED曲が使用されているということだ。

(なんならTV版はまた別の曲を12曲使用している。このアニメでもっとも予算を食っているのは音楽であるとされている)

また変わったことをするアニメだなあと思って見ていたし、知らないバンドだけどかっこいい曲だなあと2話までは見ていた私であったが、3話で推しとの運命的な出会いを果たす訳である。

 

変則的なアニメではあるが、OPEDの長さだけは一般的なアニメに準じているので、その第3話EDも1分30秒という長さだったのだが、その時間にニンジャスレイヤーの世界観が料理され詰め込まれていたのだ。

 

というのは今の感想だが、当時の私はあのEDのとんでもなくかっこいい前奏と出だしの歌詞だけで全てを持っていかれていた。

私はテロップを凝視した。

そこには、【THE PINBALLS「劇場支配人のテーマ」】と書かれていた。

それが、まだインディーズだったTHE  PINBALLS、私の推しとの出会いだった。

 

www.youtube.com

 

薄暗いテントの中で

劇場支配人はずっと頭を悩ましてる

頸を括らなきゃいけないぞ

近頃お客を呼べるような

まともなピアノ弾きなんていないし

ひとつきりのジョークくり返すコメディアン

胸を凍らすばかり 

(THEPINBALLS/劇場支配人のテーマ)

 

ニコニコ動画によくある「中毒になる動画」をこれまた死ぬほどリピートした。

CDの発売日を今かいまかと待っていたが、当のバンドよりも忍殺のコンピレーションアルバムの方が出るのが早かったので、私はそっちを発売日に買った。

 

その後、「劇場支配人のテーマ」が収録された「さよなら20世紀」というアルバムが発売され購入したが、実はこの時点ではTHE PINBALLSというバンド自体に大ハマりしていたわけではなかった。

 

www.youtube.com


 

というのも、私はバンド単位で音楽を好きになるということがあまりない人間だったからだ。

好きなアニメやらドラマやらの音楽がよかったらそれを聴きはするが、そのバンドの他の曲まで聴いたり、ライブに行ったりまではしないのだ。

 

今思えば、こんな名盤を手にしておいて本当に愚かなことではあるが、他の曲をあまりしっかりと聴いていなかったのである。

 

THE PINBALLSが「推し」となった最後の一押しはやはりライブに行ったことだろう。

そしてライブに行くきっかけとなったのが、「蝙蝠と聖レオンハルト」のPVをYouTubeで視聴したことだ。

 

www.youtube.com

聖レオンハルトの壁画が刻まれてる

蝙蝠の住処のような寂れたホテル

門番が聴いていたラジオから微かに流れるタンゴ

日本人でも病欠の電話をかけたくなるような

暗い月曜日に

ペテン師は駄目になったいかさまに

腹を立て続けるROOM102

 (THEPINBALLS/蝙蝠と聖レオンハルト)

 

人間誰しも、特に理由なく行動することはあるだろう。

「何故そんなことをしたのか」と聞かれたって、「いや特に理由なんてないが?」ということが。

あの日もそうだった。

そういえばと思い立って、あの日出会って強烈に印象に残っていたバンド名「THE  PINBALLS」をYouTubeの検索窓に打ち込んだあの行動に、なんの意味もなかったのである。

 

そう、そのなんでもない行動で再びとんでもなくかっこいい曲と出会い、「もしかしてこのバンドは、全曲やばいのではないか」と、ようやくここで気づくのだ。約2年越しの気づきである。

 

これほどまでにライブに行きたいと思ったのはいつ以来かというくらいに私は本当にTHE PINBALLSのライブに死ぬほど行きたかった。

 

なにせ、以前買ったCDも、Youtubeに上がっているPVも、全曲がとんでもなく最高にイカしたロックンロールだったからである。

 

ライブハウスなど入ったこともないし、ライブに一人で行ったこともない。

しかしそんな不安要素など頭にないくらいに行きたかったのだ。

 

もしかしたら一般抽選がまだやっているかもしれない!という一抹の期待を胸に検索をかける私。

しかし私を待ち受けていたのは、衝撃の事実だった。

 

なんと抽選どころか普通に販売されていたのだ!

 

UVERworldやflumpoolという超絶大手バンドのライブにしか行ったことがなく(友人に連れて行ってもらった)、バンドのライブとは抽選で勝ち取れない限り行けないものだという認識であったから、普通にチケットが買えるというのは衝撃だった。

 

しかも安いのである。6000円くらいするのかと思えば、3000円やそこらで買える。

この値段であの曲が生で聴けるとなれば、そんなものは考える前に購入するしかない。

 

忘れもしない、2018年2月11日日曜日「NUMBER SEVEN tour 2018」in梅田Shangri-La。

これが私が見た推しの初ライブであった。

 

やはり一般販売のチケットであったので、整理番号はそれほど良くはなかったが(記憶だとB200番台だった)それでもライブハウスという客とステージの近さに、初ライブハウスだった当時の私は恐れ慄いた。

 

あのED曲を歌っていた、あのPVに出て歌っていた、あのすべての曲がすべてかっこいいCDを出しているあのバンドが、目の前で、ほんの数メートル先で演奏し歌っているのである。

 

 

正直あの日の記憶はもうほとんど残っていないが、照明と音響と密閉感が作り出すあの独特の空気感と、強烈なかっこよさと、楽しそうに音楽をやっている4人の姿と、2曲目の「劇場支配人のテーマ」で、一気に熱が上がった客にもみくちゃにされながら「あ、これはもう戻れねえな」と確信したことだけは鮮明に覚えている。

 

それまでに抱いてきた「尖っていてクール」というTHE  PINBALLSというバンドに対して抱いていたイメージとは全く違っていると言っていいほどに、演奏を楽しみ、そして楽しむ我々を見てさらに楽しそうにしていた。

ボーカルのMCは小慣れたバンドのようにすごく上手いわけじゃないけど、出てくる言葉が素直で美しかった。

 

 

 

帰りのバスの中、ライブの名残りの耳鳴りを聴きながら今まででた全てのCDを買い、一生THE PINBALLSについて行こうと決めるのであった。

 

 

さっき羅小黒戦記を観たオタクの胸の内を書き殴った

羅小黒戦記を観た………

以下全部ネタバレなのでご留意ください……あと多分気持ち悪いので……













まず世界観が良いのよ(小学生並の感想)

突然シドニアの騎士の話すんだけど、私はあの漫画にあった「超未来のクソでかい宇宙船の中でこたつに入ってみかんを食う」みたいな「未来と現代の共存」みたいな世界観がめちゃくちゃ好きなんですよね

日本のアニメ漫画によくある「リアルとファンタジーの共存」みたいなのも好きで、羅小黒戦記はそれに近い。「自然と人工物の共存」「過去と現代の共存」みたいな


私全く前情報なしに観に行ったんですよね。完全に山と森と川と空しか出てこないような、そういうバックグラウンドで物語が進む系のファンタジーだと思って観に行ったんですけど、普通に妖精たちがバイクに乗ったりハンバーガー食ったり地下鉄乗ったり(中国の地下鉄って金属探知されるんだな…)スマホいじったりしてるのめっちゃ好きなんよな……


妖精と人間が共存してる世界だけど人間はそれを知らなくて、妖精の住処の森を勝手に壊したり、妖精がすんでいる洞窟にそうとは知らず入場料を設定したり。

それに対して人間を恨んで復讐に燃える妖精もいれば、「まあいろんな人間がいるよね」「でも人間っていろんな物を作り出して面白いよ。ほらこれスマホって言うんだって」みたいに、人間と共存を望む妖精もいて…… 妖精は能力を持ってるから人間なんて消そうと思えば消せるんですよね。でも妖精は、知らずに妖精の住処を奪っている人間との共存を選んでいる。なんかそれ観てると、私も知らず知らずに誰かを傷つけていて、知らず知らずのうちに許されて生きてるんやなってなったんですよ



あとシンプルにキャラデザが好みだ……ムゲン……ムゲンが好みすぎて泣いてしまった ムゲン嫌いなオタクおるん?(クソデカ主語)

あの均一で太めな主線のアニメ、日本ではあんまり見ないですよね。わりと好きかもしれん かわいい

アクションシーンは聞いてた通りすごかった……なんだろう、ほんとうにテキトーで雑な発言なんですけど、ナルトのアニメを見て育ったアニメーターが修行を積んで描いたアニメーションって感じがしました。めっちゃかっこいい

私の動体視力がゴミすぎて多分半分もアクションシーン楽しめてないのでもう一回行きたいですね……

戦闘シーンの動きもそうなんですけど、そうじゃない静かなシーンの所作もいちいち細かくてほんとうに好きだ……もう多分界隈で100億回は言われてるだろうけどシャオヘイの服をムゲンがハタハタとはらうところ、可愛すぎて家で見てたら悲鳴あげてましたね

飯食うシーンめちゃくちゃ多いの嬉しいしすごい……飯を食う絵は難しいと思うので……飯がうまそうでうまそうに食うアニメは漏れなく良作である……ハンバーガー食うシャオヘイ可愛すぎるんよな いっぱい食べて幸せに生きてくれ……ムゲンと……



この流れで言うんですけど、ほんとうにシャオヘイとムゲンがさ……ほんとうに尊すぎてさ……もうさ……

宮野真守と花澤香菜の熱演も相まってほんとうにもう……一生一緒にいてくれ……ってなってしまった シャオヘイに対してのムゲンの声音がだんだん優しくなっていくのやばい……やばくない? 

側から見たらストックホルム症候群な関係なんですよね。でもね、違うんですよ。違うんですよね!!!ムゲンはほんとうに優しい人間なんだ……(号泣)
だって思い返してみると、最初の段階から優しいんですよ。自分を襲ってきた猫を一回首根っこ掴んで持ち上げるんですけど、その後地面にそっと戻してあげるんだよな。ムゲンはほんとうに根っこから優しい人間なんだ……ただただ長い時間一緒にいたからシャオヘイが好意を持ったとかじゃないんや……ウッ……尊い……

シャオヘイが領界をフーシーに取られた後、ムゲンが助けに入るやないですか。そんでシューファイがシャオヘイを抱えてフーシーは別方向に逃げてたやん そんでさ!!!ムゲンはフーシーじゃなくて迷わずシャオヘイを抱えたシューファイの方に向かうんですよ!!!!ウッ……

いかん……マジでもう一回観ないとムゲンとシャオヘイが尊いという言葉しか出てこん……尊い……


あと私はフーシーがすごい好きだ……「ここ(自分の住処)から離れたくない」と願って街の中に大木を生やすのがさ、最後まで自分の願いとか意思を曲げないキャラはすごい好きだよ…… 人間にとってはどう考えてもクソ迷惑なんだけど、でもフーシーの住処を人間が奪ったというのが先に立ってるわけなので、その逆をフーシーがやったんだよな。やり方は違うけど、フーシーなりの共存の形なんやろうなって…… 妖精たちが「そんなところに木生やしたってどうせ木材にされるのに」とか「公園にされて入場料取られるぜ」みたいなこと言ってたの、人間に対する解像度高くてめっちゃウケたな 結構長い間人間と生きとんやな……



どうしよう……シャオヘイとムゲンに心を掻き乱されてるんだけど、この胸の内をどう言葉に表現していいのかわからんのでとりあえずここまでにしときます……好きだ………………


みんなも羅小黒戦記観てくれな……



漫画のストーリーをそのままアニメ化するのってつまらないことなんですか?

私は自分が所謂「原作厨」であることを自覚している。

二次創作をするときは原作を読み込まないと気が済まないし、自分の絵柄にならないようになるべく原作に寄せるようなムーブを取ってしまう。

他人にそれを強要したいとは全く思わないけども。


映像化に関してもそうで、

セリフが微妙に変わっている、重要なシーンがカットされている、謎のオリジナルシーンが追加されている……

このようなことを原作付アニメでされるとどうしても机に拳をぶつけたい衝動に駆られる。


しかし上で挙げたような例は正直原作厨の戯言だと思われても仕方がないとも思う。

私だって漫画・小説を映像化する際に尺だの何だのと色々なしがらみがあることも理解できるので、机にぶつけようとした拳を逆手で抑えて代わりにTwitterという便所の落書きツールで毒を吐くことにより事なきを得ている。


また、オリジナルシーンでもファンが納得できる「原作の補完」をやってくれるアニメは本当に尊敬できるし、世界が広がったのを感じられる。


ただ私が本当に許せず、机に拳をぶつけようとする右手を止められずにそればかりかその手で画面を破壊し体調を崩す状況に陥る時がある。


それは「原作破壊マシーン」と化したアニメを見せられた時だ。


私も曲がりなりにもクリエイティブ業に携わっているので、「この通りに作ってね」という指示をそのまま作ることに対して溜息が出てしまう心情はわかる。

理解はできるが納得はできない。

私が言いたいことは、

「クリエイターがやりたい/伝えたいことの為に原作を捻じ曲げるのは絶対に絶対に間違っている」

ということだ。


「漫画とアニメが同じだとつまらない」?

「〇〇を伝えたかった」?

「原作ファンも驚く展開」?

あえて言わせてもらうけど

何を言おうと原作を破壊して行う映像化はカス以下ではないか?


「ストーリーはもちろん、漫画と同じような構図で止め絵ばっかりで音もまともについてない」とまでいって初めて漫画と変わらないと言えると思う。
そもそも漫画と同じように作ったらつまらないとかいうセリフ、原作者に失礼すぎる。

なぜ漫画にはないアニメーションだとか音響だとかエフェクトだとかオリジナルの構図カット割演出だとかで勝負しようとしないんだ? マジで理解に苦しむ。

同じストーリーで原作に並べる自信が無いから改変して原作との差別化をしようとしてるだけだろうとしか思えない。

そんなのただの逃げだし色々考えて作ったと見せかけた思考停止に過ぎないと私は思う。


この作品を通してなんちゃらかんちゃらを伝えたかったんだとかなんとかいうのも見たことがあるが、そんなのは「オリジナルでやれ」としか言えない。

原作漫画を道具としか思っていないのか?

作家が生み出したキャラクターはクリエイターが自己表現するための人形じゃない。

作品を借りて公式を名乗ってやる以上、崩してはならない部分は間違いなく存在する。

アバウトな言い方だが、キャラクターの性格だったり世界観なんてのは絶対変えるべきではない。

脚本のためにキャラクターを歪めるなんて無能のやることだし最早人権侵害に近いだろ。

スポーティな格好をしたいと思っている子どもにお人形さんみたいな可愛い洋服を無理やり着させる親と同じようなことだ。本当に腹が立つ。


原作ファンも驚かせようとしてオリジナル展開にしてるアニメもあるよな。

いや、原作捻じ曲げて「どや?w原作読んでるお前らでもこんな展開びっくりしたやろ?w」とかやられても「夜道に気をつけろ」としか言えんわな

こういう話すると

「いや原作使ってる以上原作者(版元)のOK出てるんだから視聴者のお前が文句言うなや」

とか言う奴出てくるよな。

たしかに原作者が「好きにやっていいですよ」と言ったからオリジナル展開にしてるんだろうなとは思うよ。

でもそれって常識的に考えて「(作品の根幹を変えなければ)好きにやっていいですよ」じゃないか?

自分がなにか作品を作ったとして、アニメ化するとして、原作ストーリーに囚われずに自分が作ったものとは違う物語を見せて欲しいと思って「自由にやってください」とアニメ制作の人間に言うとする。

そんででてきたものを見てみたら、ポジティブに産んだファンタジーのキャラが全く違うネガティブな性格になってて、監督が「現実を描きました」とか言い出したらどう思うか、大抵の人間なら想像できると思う。

今まで世に出たクソ原作付き映像の監督とかプロデューサーは想像できなかったんだろうなとしか思えない。




あともう一つ言いたいことがあって、これまで殴り書いたことは原作付きだけじゃなくてシリーズの続編ものにも言えることだと思う。


人気のシリーズを締めたくなくて、でもマンネリ化させたくなくて、客を驚かせようとして、前任者のやっていたことを否定したくて、その手段として選ぶのがキャラクターを歪めてやりたい脚本の流れに合わせることだったり、シリーズでずっと大事にしてきたはずの世界観を覆すことだったり。

そういう作品が去年は少なくとも2本はあった。



オジサンは思うんだ。全ての表現活動は個人の本来は共有できない感覚を他人に共有・披露するためにあると君たちは思っているかもしれない。でもそれは、確固たる土台が存在する原作付き作品やシリーズものでその土台を壊してまで披露すべきことではない。本来共有できない君の中に内包されている感覚が他人と共有されるということを、私は大事なことだとは思わない。確かに君が言う通り、人間は言葉や音楽や映像で他の動物より少し多彩に繊細に自分の中に内包されているモノを表現できる。でも、それを先に言った土台を壊してやったことで原作ファンが受け入れられるかどうかは別問題なんだ。君のやったような、キャラクターと世界観を捻じ曲げて多くのファンが腹を立てるように作られるような作品は、僕は全く面白くないものどころかファンを含めたIP自体を地獄にたたき落とすということになりがちだと思う。君には理解できないかもしれないけど、そうならないために監督という職業があるんだと思う。



まあ怪文書のパロディはこれくらいにして(そもそもこの記事自体怪文書)、冷静になってきたので言いたいことをまとめたいと思う。


どんなに原作とズレていようと、どれだけ原作キャラがクリエイターの意思表示の道具に使われていようと、それを肯定する人間を私は否定しないし、それを好きだと思う気持ちも否定したくはない。

上で書いた原作者のお気持ちだって単なる私の想像だし、本当は捻じ曲げられてても特に何も思っていなくて、映像化されるだけで喜んでいるのかもしれない。


しかし、何度も言うが、原作のキャラクターや世界観を都合よく捻じ曲げるクリエイターたちを、誰がなんと言おうと私は絶対に否定するし、これまでそうやって作品紛いの原作付映像(ゲーム)を世に出してきた人間を許すつもりもない。



今後不幸なIPが産まれないことを切に願って、この便所の落書きを締めようと思う。



あ、この記事は私のお気持ち表明であって、原作厨の総意じゃないからね。


免許取得日記 9-14日目

前回のあらすじ
 やればできる子YDK


前回の日記からかなり時間があいてしまったが、その間にも講習は着々と進んでいた。
なぜこんなにも更新しなかったかと言うと、決して飽きたからとか3日坊主とかそういうことではない。
とくに日記にするほど面白い事がなかったのだ。

Twitterでも言ったが、効果測定は一発合格だった。
友人が効果測定落ちたと言っていたので恐れおおのいていたが、ただの簡単な○×問題だった。(余裕で解けたとは言っていない)

この数日の講習で特に言及することがあるとすれば、技能講習で別の教官にあたったという事だろうか。
そう、O教官からようやく解放されたのである。
正直O教官とは運命を共にする気でいたのだが、せっかく神が慈悲を向けてくださったので、ありがたく享受することにした。

この期間、私は3人の教官に教わった。
1人目は、最初の技能講習の時間に車の操作方法を教えてくれた教官だった。
正直あの最初の講習の時の彼の記憶は恐怖と緊張によりほとんど残っておらず、覚えている事といえば「触ったらセクハラになる」という特に面白くもないジョークのみだった。
しかし彼の講習は非常にわかりやすかった。
きちんと説明してくれるというだけでも、O教官よりわかりやすいのは明白である。
O教官の時にはろくにできなかった幅寄せなども、彼の講習ですぐできるようになった。

2人目は女教官だった。
彼女は私にかなりきつい口調で「何しにここに来たんや」「学科でやったところくらいちゃんと覚えとけ」などと言った。
恐らく女だからといってなめられまいと、最初の洗礼としてキツい事を言っているのだろうが、中学高校と部活動で精神的苦痛を強いられてきた私にとっては彼女のそんな言葉などは小鳥の囀りと等しかった。
実際次に彼女に教わったときは全く厳しくされなかったので、本当に最初の洗礼だったのかもしれない。

3人目は、ものすごく丁寧に教えてくれる人でありがたかったが、なにぶん丁寧すぎる説明により、他の教官に教わった時と比べて私が運転している時間は半分くらいだった。
O教官と足して2で割りたいランキングがこの教習所にあるとしたら、彼がダントツトップに君臨するだろう。

と、このようにして、なぜかO教官の時にできなかったことが他の教官の時には普通にできるようになり、正直日記に書いても面白くないほど普通に操作できるようになったのである。

ちなみにこの3人に教わった後もう一度O教官に教わる時間があったのだが、人並み以下の私の運転が人並み程度に成長しているのを見て「やればできるやん」と、「ワシが育てた」とでも言いたげな顔で言ってきたが、まあ彼に育ててもらったというのも間違いではないので素直に礼を言っておいた。


そして、いよいよ仮免試験である。
これに受からなければ路上講習はできない。
路上講習を受けなければ免許は取得できないのだから絶対に受からなければならないし、私は就職までに早く免許を取らなければいけない身なので、不合格になっている時間の猶予は全くないのである。

入学初日は、免許を取りたくない、車に乗りたくない、死にたくないと涙を流した私だったが、仮免技能試験、なんと一発合格だった。
学科試験も(恐らくギリギリだが)一発で合格できた。

入学当初の私の様子からは信じられない結果である。
正直2回は落ちる覚悟でいたのだが、人間とは成長するものなのだなと感動するばかりだ。
こんなわたしでも仮免取得できるのだから、まだ免許を取っていない人たちも安心して頑張ってほしいと思う。
私ができるのだから大抵どんな人も大体何とかなると断言できる。

しかし、本番はここからである。
仮免を取得した先に待っている路上講習。
日本でトップレベルに交通マナーの悪い地方での地獄のデスロード。
生きるか死ぬか、はたまた殺すかの戦いがこれから始まるのだ。
殺したとしても責任は教官にあるのだという事だけを心のよりどころとして、私はとりあえず交通ルールだけは頭に入れておこうと、震える手で教科書にしがみついた。

免許取得日記 8日目

前回のあらすじ
 適性検査は大体当たってる


例によって今回も前置きをさせていただきたい。
私は今まで散々O教官をDisってきたが、自分の免許日記を読み返してみたところ流石にDisりすぎな気がしてきたので、ここで少しフォローを入れておこうと思う。
「O教官は教え方がクソ下手」だと言ってきたが、厳密には少し違う。
前回の日記に書いたが、O教官は「言葉が圧倒的に足りない」のだ。
だからこそ何を言っているかわからないし、基本的に理解力のない私は余計に理解に時間がかかるのである。
私からしたらそれは「教え方がクソ下手」であることと同じなのだが、言葉が足りなくとも理解の早い人やセンスのある人は普通に彼の言葉を解することができるのだろうし、できるからこそ彼は何年もあのままあそこで勤務を続けられているのだろうと思う。

なぜこんなにO教官をフォローしだしたのかという事は後で説明することにする。

この日は学科だけの日だった。
すでに日記が三日坊主気味なので、学科だけの日は飛ばしていこうと思っていたのだが。今日は書いておかなければならない。

授業開始時間よりかなり早く学校に着いた私は教室に並べられた席につき、教科書……ではなく、『約束のネバーランド』の第2巻を取り出した。
学校に行くついでに買ったのだ。
おまけ頁の充実感に酔いしれていた時、チャイムが鳴った。
学科の授業はいいものである。
数学の講義よりは内容も興味深いものであるし、シミュレーション映像は見ごたえがあるし、なにより学科はO教官の脅威に怯える必要もない。
ドアを開けて教官が入ってきたので、私は手に持っていた『約ネバ』をかばんにしまい、それと入れ替えに教科書と筆箱を取り出した。
チャイムの前に勉強道具を出しておく優等生行為は小学3年生の時に卒業したのだ。
「はい、教科書◎◎P開いて」
そう教官が言うと、自分の周りから教科書をめくる音が聞こえてくる。
私はめくっていなかった。
私の視線は教科書の隅ではなく、目の前の教官に向かっていた。

O教官だった。

いつまでたってもページをめくらない私に気付いたのか、教官が私の方を見た。
寸前に私は目をそらし、教科書を急いで捲った。
危うく目が合うところだった。

確かに私は今までの人生ろくなことをしてこなかったし、日ごろの行いもよくないし実際悪いが、ここまでやられるいわれはない。
流石の私も幼女の大隊長がごとく「謀ったな」と言わざるを得ない。
勘弁してほしい。
技能の教官が固定だとわかった以上、学科だけが私の心のオアシスなのだ。
そんなところでまで彼の顔は見たくない。
いうなれば実家のリビングで家族団らんを過ごしていたところに会社の上司がテレビ電話してきたという状況に近い。

極力O教官と目を合わさないように授業を受けた。
受けたのだが、意外や意外。

O教官の学科講習は非常にわかりやすかったのだ。
他の先生の数倍説明がうまい。
初日に道交法の用語を教えてくれた女の教官よりも喋るスピードは適切だし、前の日記に書いた教科書をぼそぼそ読み上げているだけの教官とは雲泥の差で、O教官はテストに出やすいところや引っ掛け問題になりやすい部分を教えてくれた。
まあ授業中に下の名前で話しかけてくる馴れ馴れしさは相変わらずだったが。

お分かりいただけただろうか。
冒頭でフォローしたのはこのためである。
彼はやればできる子 YDK なのだ。
出来ればこれからずっと技能ではなく学科担当でいてほしいものである。

授業中O教官が「技能は能力が人それぞれだからあれだけど、学科はどこでも勉強できるからな、効果測定落ちるなよ」と言っていた。
極力目を合わせないようにしていたのだが、能力云々のくだりは確実に私の事である。
私以上の下手くそがこの場にいるとは思えない。
あれだけ技能がクソみたいな出来なのに、学科の出来までクソだったらもはや恥ずかしくて校門をくぐれない。
家族からは面の皮が厚いと思われているが、私は無駄にプライドが高い。
技能が救いようもないほどダメなのだから学科くらいはやすやす突破できなければ自殺ものである。

効果測定は次の日に控えていると気付いたのはこの授業が終わった後だった。

免許取得物語 7日目

前回のあらすじ
 右と左が解らないえりょは、学科講習にて風評被害の悲しみを目の当たりにした。


今回も少し前置きをしておこうと思う。
私のこの免許日記を見た人からの
「免許取るのってこんなに大変なんだ……不安になってきた」
といったような声を目にした。
安心してほしい。
この日記の趣旨は「運転不適正人間が免許を『取得するまで』の物語」である。
今こんなに救いようのないような状態の私ですら免許が取れるのだという事を皆さんに示すつもりでいる。
そもそも私が際立って下手くそなだけだと思うので、免許をこれから取るという人たちは私の日記を見て「こんなクソみたいな人でも免許は取れるんだ」と、安心して頑張ってほしいし、現在健全な運転者の皆様におかれては「こんなクソみたいな人間でも免許を取って公道を走っているのか」という事を再確認し、日々の運転での一層の安全運転を心がけていただきたい。

この日は技能講習の日だ。
今日も今日とて「O教官は嫌だ」と心の中で10分近く唱え続けたが、相も変わらず私の教官はO教官だった。
この世に神はおらず、もしそれに近い存在が私にこのような試練を与えておられるのだとしたら、私はそれを「存在X」と呼称する。
私はこの日を境にO教官以外の教官を望むのを諦めることにした。
恐らく教官は固定されているのだ。

今日の目標の前に、要復習事項が私にはあるのを忘れてはいけない。
私は前回前々回の講習範囲をまだクリアしていないのだ。
前に日記で「幅寄せはいい感じにできた」というような事を書いたが、どうやらそう思っていたのは私だけだったらしく、教官から「今日もあれやるぞ」というありがたいお言葉をいただいた。
「いくらなんでも成長しなさすぎじゃないのか」とそろそろ心配される頃かもしれないが、安心してほしい。
右折左折はかなり上達していた。
前の講習から5日ほど間が空いてしまい、もしかしたら体が忘れてしまったのではと思っていたのだが、存外覚えていた。
問題は幅寄せである。
なかなかまっすぐに停車できない。
一応原因は理解している。寄せた後ハンドルをまっすぐに直すべきところで、少し右に回してしまっているのである。
解っているなら直せよと思われるかもしれないが、まず私の言い分を聞いてほしい。
ハンドルが右に曲がってしまう理由として、二つの点を挙げることができる。
まず一つ目は「身体が左に傾いている」ということだ。
これはO教官に指摘されて気付いたのだが、身体が傾いているからその反動で右にハンドルが動いているのだ。
身体が左に傾くのは、もちろん無意識に自分の目を車体の中心に持って行こうとしているからである。
私は車に乗り始めた今でも疑問なのだが、車の右側で運転しているのに左の線に合わせたり道路の中心を走ったりすることがなぜ可能なのだろうか。
どうせ免許取得者に聞いても「そんなん感覚感覚!」とかいうクソ参考にならない答えしか返ってこないのは解っているので相談はしないことにする。
もし理論的に教えられるという方がいれば是非ご教授願いたい。
二つ目だが、これは恐らく「ハンドルとタイヤがどう連動しているかがわからないから」だと思う。
よく考えると、これがわからないから今までの講習もさっぱりだったのではないか。
そもそもハンドルを切るとどのタイヤが動いているのかを私は知らなかった。
講習の後に「四輪車 ハンドル 前輪」で検索し、「ハンドル操作によって前輪に舵角を与えて方向転換を行うのが一般的」だとわかった。
こんな間抜けな検索をしているのは日本でわたしくらいなものかもしれない。
前回の日記にも書いたが、父親がスカイラインに乗っていたのと、小さいころから頭文字Dを見ていたこともあり、無駄に「4WS」という知識があってずっと混乱していた。
「前後のタイヤが一緒の方向に動いているのに車体をまっすぐにするなんて無理ではないか」と余計なことを考えていたから、余計にハンドルを動かしてしまい、思ったように運転できなかったのだ。
(ちなみに4WSは四輪操舵だが、後輪は前輪よりも遅れて動いているので自然なハンドリングになるらしい。さっきググった。)
難しく考えすぎていた。

それでなんやかんやあって苦戦しつつもなんとかギリギリ及第点をもらったのだが、安心する暇もなくO教官は「じゃあ次『線』ね。はい進んで」と言い出した。
もしかしたら免許取得者諸君は解るのかもしれないが、突然線と言われても私が解るわけがない。
今までやってきた幅寄せも言ってみれば線に寄せているので「線」である。
私は当然「せ、線?」と聞き返すのだが、教官から出たのは「線」というおうむ返しだった。
私が困惑していると「いいから、進んで」と、まるで私が理解力の足りない奴だと言わんばかりにあきれた様子で手を前後に振った。
この教官はいつもこうなのだ。理解力が足りないのはぐうの音も出ないほど事実なのだが、言葉が圧倒的に足りないというか、私が車の事を何も知らないという事を知らないという感じなのである。
例えば、レストランなどで「ミラノドリア」の注文を受けたウエイターが厨房に向かって「ミラ1お願いしまァす!」というように、店で決められた略称で注文を伝える場面を見たことがあるだろうか。
私からすれば「線」もこの「ミラ」と一緒である。
この時の私の状況は「今日のおすすめは『ミラ』ッす! いかがですか!」と言われているのと同じなのだ。
身内ネタはやめていただきたい。

話を戻すが、今回の「線」とは「停止線」の事で、要するに「停止線の手前できちんと止まる練習」の事だった。
まあこれは簡単である。すぐにできた。
問題はそこに至るまでの過程だった。
その停止線に向かうまでいくつかの交差点を通るのだが、一つの停止線に着くまでに3回「ハンドルを回すのが遅い!」と怒られた。
停止した後教官は初日にやった私の適性検査の結果を見て「あー、動きが遅い、なるほどね、当たっとるわ」と言った。
完全に草が5個くらい生えている言い方だった。
まあ私もそう思うので否定はしない。

適性検査の結果は大体当たっているという事が改めて証明されたところで、これから免許を取る皆様におかれては、適性検査において思わしくない結果が出た場合は真摯に受け止めて欲しいと思う。